【エッジーナの名言】マーガレット・サッチャー「好かれようとして妥協する限り、何も達成しない」

“好かれようとしているだけなら、いつでも何でも妥協する用意があり、何も達成しないだろう。”

―マーガレット・サッチャー


マーガレット・サッチャー(1925-2013)
政治家

信念を突き通すためなら、嫌われることも厭わない

マーガレット・サッチャーはイギリス初の女性首相を務めた人物。強硬な性格から「鉄の女」と名付けられ、彼女の大胆な構造改革は「サッチャリズム」と呼ばれました。

サッチャーは1925年、イングランド・リンカンシャー州の田舎町グランサムで食料雑貨店の娘として生まれます。父は市長経験もある地元の名士でした。マーガレット家の家訓は「質素倹約、自己責任、自助努力」。この精神はサッチャーにも深く根づき、のちの政治思想や政策にも大きな影響を及ぼすことになります。

彼女はオックスフォード大学に進学して化学を専攻。卒業後は化学技術士の職につきますが、大学時に培った経済学の思想から、結婚後に弁護士の資格を取得し、1959年に下院議員に当選。その後、保守党の党首まで登りつめると、1979年に保守党が選挙に勝つと女性初のイギリス首相に就任します。

就任当時、イギリスの経済は低迷しており、経済規模で西ドイツやフランスに追い抜かれるほど停滞、労働組合によるストライキが多数発生していました。イギリス経済を立て直すことに奔走したサッチャーは、国営企業の民営化や金融自由化などを行い、再びイギリス経済を軌道に乗せることに成功します。

一方、新自由主義とも言える「サッチャリズム」が大きな変革をもたらす中で取り残される人々も少なくなく、経済格差が生まれたことによる批判も相次ぎました。しかしその後、アルゼンチンとのフォークランド紛争でアルゼンチン軍の侵略を阻止したことから支持率は急上昇し、国策において結果を出し続けることで3度にわたって総選挙での勝利を収めました

ときに国民からの大きな反発を受けながらも、自らの信念を貫き通したサッチャー。普通の政治家であれば激しい批判にさらされると、政策を見直したり、国民に譲歩するものですが、サッチャーは一切そのような姿勢を見せませんでした。

イギリスという国を立て直し復興させることが自分が果たすべき最大の使命であり、そのためなら嫌われても構わない。いまだに賛否両論のあるサッチャリズムですが、イギリスという国が再び世界トップの大国として君臨している現在を見ると、サッチャーがもたらした成果の大きさは計り知れないと言えるのではないでしょうか。