【エッジーナの名言】 オードリー・ヘプバーン「チャンスはそう来るものじゃない。だから巡ってきた時はぎゅっと掴まないと」

“私はラッキーだったの。チャンスはそう来るものじゃないわ。だから巡ってきた時はぎゅっと掴まないと。”

――オードリー・ヘプバーン


オードリー・ヘプバーン(1929-1993) 女優

両親の離婚、戦争、飢餓…数々の受難を乗り越えチャンスを掴む

1929年5月4日、オードリー・ヘプバーンはベルギーの首都ブリュッセルにて、英国人の父とオランダ人の母のもとに生まれます。幼い頃から両親の喧嘩が絶えず、彼女は両親の争いをおさめるために聞き分けのいい子を演じ続けていたそうです。やがて両親は離婚することになり、5歳でイギリスの寄宿学校に入学。10歳のときに祖父のいるオランダへ移住し、そこでバレエの特訓を受けてバレリーナを目指します。しかし、身長が高すぎるためプリマドンナになれず、バレリーナの夢は諦めざるを得ませんでした。

第二次世界大戦中に貧困による重度の栄養失調で生死の境をさまよいながらも生き延びたオードリーは、終戦後に母とロンドンへ移住。餓死寸前の苦しい生活から抜け出すために映画やテレビの端役の仕事を始めます。

そして、あるとき撮影で訪れたフランスで女性作家のコレットに見出され、ブロードウェイ上演作品の「ジジ」の主役に抜擢。舞台女優として才能を花開かせた彼女は、「ローマの休日」でついに映画女優として主役の座を射止めます。

同作は大ヒット。オードリー自身もアカデミー主演女優賞をはじめ数々の賞を手にし、一気にトップ女優へと躍り出ます。その後も「麗しのサブリナ」「ティファニーで朝食を」「マイ・フェア・レディ」などの名作に出演し、映画史に名を刻んできた彼女。1989年に女優業を引退すると、ユニセフ親善大使に就任し、1993年に虫垂癌で亡くなる直前まで数々の国で貧困に苦しむ子どもたちのために尽力しました。

「運」にこだわることで、「チャンス」への嗅覚を研ぎ澄ませた

オードリー・ヘプバーンは「強さ」と「美しさ」で運命を切り拓いていった人という印象が強いかもしれませんが、彼女自身は「運命」や「運」をとても大切にする人でした。それは幼い頃に死と直面しながら辛うじて生き延びたこと、たまたま訪れたフランスで、たまたま著名な作家と出会えたことなど、実際に「運」に導かれながら人生を変えてきた経験が大きいのでしょう。

彼女はげん担ぎにも非常にこだわりがあり、自身のラッキーナンバーが「55」であることから、あらゆる映画の撮影で楽屋の番号を55にしてもらう徹底ぶり。『ローマの休日』でアカデミー主演女優賞にノミネートされた際は、撮影中に着用した「ラッキードレス」を着てアカデミー賞に出席し、見事に受賞したというエピソードも残っています。

「運命」や「運」の力を信じるからこそ、それらが手繰り寄せてくれる貴重な「チャンス」を絶対に逃さない。そんなオードリー・ヘプバーンの信条は、やはり強くて美しいと思うのでした。