【エッジーナの名言】 アナ・ウィンター「誰もが解雇される経験を持つべきよ」

“誰もが少なくとも一度は解雇される経験をもつべきよ。その経験から学べたことは間違いなく良いことだった”

―アナ・ウィンター

アナ・ウィンター(1949-)
ファッション雑誌編集者

 

今の失敗や挫折は、この先の未来を輝かせるチャンスになるかもしれない

アメリカ版「VOGUE」の編集長であり、『プラダを着た悪魔』のモデルになった人物とも言われるアナ・ウィンター。ファッション業界への貢献度の高さから大英国勲章を授与され、世界で一番有名な女性編集者と言っても過言ではないほどの成功を収めている彼女ですが、その地位に至るまでの道のりは平坦ではありませんでした。

雑誌編集者とハーバード大学教授の母の元に生まれたアナは、小さい頃から質の高い教育を受け、ロンドンの名門校クイーンズ・カレッジに入学します。しかし当時、女性の解放や階級の崩壊をファッションで表現した「スウィンギング・ロンドン」にアナは傾倒し、学校の厳しい規律や時代遅れの制服は苦痛でしかありませんでした。結局、彼女は校則を無視し続けて高校を中退し、ファッション誌の編集アシスタントとなってファッション業界に足を踏み入れます。

1975年、ニューヨークに渡ったアナは「ハーパース・バザー」の編集者になります。しかし、上司と激しく衝突したこともあって9ヶ月で解雇されてしまいます。大きな夢を胸にニューヨークへと渡ったのに、いきなり職を失ってしまった彼女。その時のショックは計り知れないものでしたが、この経験が逆に彼女にとっては起爆剤となります。夢を諦めなかった彼女はその後、雑誌「NEW YORK」に参加して辣腕を振るうと、さらにいくつもの雑誌に新しいトレンドをもたらしたことで、彼女の名は業界に知れ渡るように。そして1983年、ついにアメリカ版「VOGUE」のクリエイティブ・ディレクターに就任します。

彼女は編集部の古いスタイルに新たなビジョンと変革をもたらし、「VOGUE」の発展に大きく貢献してきました。ビジョンを実現するためには衝突を恐れず、批判にも怯まない。決して味方は多くありませんでしたが、その仕事ぶりが評価され、1986年にイギリス版の編集長に就任。そして、1988年には38歳の若さでアメリカ版の編集長にも抜擢されました。

ファッションショーには最先端のブランドを身にまとって最前列に陣取り、自らファッションアイコンとして積極的にメディアへと露出する。90年代終わりに「セレブ文化」の到来を予測し、時代に先駆けてセレブリティの表紙起用を始めるなど、過去の慣習にとらわれず未来に進むことで、VOGUEは最先端のトレンド誌へと変貌。今なお、ファッション業界の中心には常に彼女の存在があります。

強い信念を持った彼女ならきっと、「ハーパーズ・バザー」でも大きな成功を収めていたでしょう。それでも、彼女は解雇をきっかけに「パーフェクトな仕事など存在しない」と理解したことで、慢心することなく常にベストを追求するようになり、大きな成長曲線を描くことができました。今の失敗や挫折は、この先の未来を輝かせるチャンスになるかもしれない。そんな勇気を与えてくれるような名言だと思います。