【エッジーナの名言】 オプラ・ウィンフリー「好きなことを他人のために行う。それが成功の秘訣」

“成功するための一番良い方法は、自分の好きなことを見つけて、それを他の人のために行うこと。”

―オプラ・ウィンフリー

オプラ・ウィンフリー(1954-)
テレビ司会者、女優、番組プロデューサー

1年のギャラは315億。全米一のトーク番組を生んだ強い意志

全米一裕福な黒人と言われ、世界で最も影響力のある女性の一人に挙げられるオプラ・ウィンフリー。ブレイクのきっかけとなったテレビ番組の司会者にはじまり、女優、プロデューサー、慈善家と幾つもの顔を持ち、「次期大統領候補」とまで言われるほど、その人気は絶大です。

毎年フォーブスが選ぶ世界富豪ランキングで上位にランクインするなど、世界トップの富と地位と名声を手にしている彼女ですが、その生い立ちは壮絶なものでした。

ミシシッピ州で、未成年のカップルの元に生まれたオプラは、祖母・父親・母親の元を転々としながら育ちました。9歳のときには叔父から性的虐待を受け、14歳で妊娠。産まれた子どもも生後1週間で亡くなってしまいます。

しかし、そんな彼女を支えていたのは知性と教育でした。幼稚園の頃から才能を発揮して小学校に飛び級するほど頭が良かったオプラ。家は貧しかったのですが、奨学金を得てテネシー州立大学へ進学します。

さらに高校生の頃からラジオ出演していた彼女は、テレビ局のアンカーマンとして働くようになります。彼女のエモーショナルなトークや、知的で的確な意見、気の利いたアドリブは多くの熱狂的なファンを生み、1986年には自身のトーク番組「オプラ・ウィンフリー・ショー」がスタート。同番組は見る見るうちに人気が高まり、圧倒的な視聴率を獲得。世界140カ国で放送されるようになり、オプラの名は全米のみならず世界中に知れ渡ることとなります。

番組の魅力は何と言っても彼女のトーク力にありました。新しくホットな話題や豪華ゲスト、サプライズプレゼントなど視聴者を飽きさせない工夫が随所に散りばめられていたのも人気の理由の一つですが、やはり一番は彼女のトークに魅せられた人が大多数。中でも問題や悩みを抱えた一般人の相談に乗り、深く寄り添いながら前向きな方向へと導く姿は、毎回多くの人に感動をもたらしました。

彼女は自分の使命を「自己肯定の手助けをすること」だと認識しているそうです。その背景には、子どもの頃の辛い体験を意義のあるものに変えようというポジティブで強い意志がありました。テレビパーソナリティの仕事は確かに天職だったに違いありませんが、彼女は単に番組の司会をやりたかったのではなく、番組を通じて、トーク相手と視聴者を励まし、より良い自己肯定に結びつけることを信条とし、そこにかけがえのない喜びを感じていました。

そして、視聴者たちも他人の問題に深く共感し、親身になって考え尽くし、救済していくオプラの姿にこそ惹かれ、番組の根強いファンが増えていったのです。アメリカのトーク番組史上最高の番組と言われ、1年間のギャラが2億6,000万ドル(約315億円)という破格の金額を実現したのもそれが理由でしょう。

好きなことを見つけて、とにかく他人のために行う。そうすることで、あなたの好きなことはまわりからも愛されるようになり、最終的に自分に返ってくる。

そんな成功の秘訣を、オプラは身を持って私たちに教えてくれています。