【エッジーナの名言】黒柳徹子”反省は母親の胎内に忘れてきた”

 

反省は母親の胎内に忘れてきた。

 

 Tetsuko Kuroyanagi 201511” by 文部科学省ホームページ is licensed CC BY 4.0

黒柳徹子(1953-)   司会者、ユニセフ親善大使

 

黒柳徹子さんは女優、タレント、声優、司会者、エッセイスト、ユニセフ親善大使、平和活動家と幅広い肩書を持つ、日本で最も有名な女性です。

 

今回は、そんな彼女の名言を経歴とともにご紹介していきたいと思います。

 

黒柳徹子さんは195389日、東京乃木坂で生まれました。バイオリニストの黒柳守綱さんとエッセイストの黒柳朝さんの間に生まれました。

 

芸能活動の開始

子どもの頃から音楽に慣れ親しんでいた彼女は東洋音楽学校の声楽科(現:東京音楽大学)に進学します。しかし、目標でもあったオペラ歌手にはなれないと分かり、新聞で見た「NHK放送劇団」のオーディションを受けます。なぜ、応募したかと言うと「自分の子どもに人形劇や絵本の読み聞かせを上手にできるお母さんになろう」と思い立ったそうです。なんとも、徹子さんらしいエピソードですね。

 

そして、なんと! 6000人の応募者の中から13人の劇団員の1人として合格するのです。

 

その後、昭和28年「テレビ女優第一号」の一人として、女優人生のスタートをきります。

 

黒柳徹子さんと聞いて、昭和後半以降に生まれた人たちには女優というより、司会業の方がピンくるでしょう。

特にアラフォー、アラフィフ世代は徹子さんと久米宏さんが司会を務めた、歌番組「ザ・ベストテン」をリアルタイムで見ていた人も多いはず。

ザ・ベストテン」は最高視聴率41.9%を記録し、今でも伝説となっています。

 

また、1976年にはじまった、日本初のトーク番組「徹子の部屋」は現在放送10000回を越え、「同一司会者番組の最多放送回数記録」としてギネス認定も受けています。

 

ベストセラー作家に

1981年に出版された彼女の自伝的小説『窓際のトットちゃん』は、国内で800万部以上を売上げ、中国では1000万部をこえています。

内容は小学校を退学になったトットちゃんが、自主性を大切にする学園で活発な学園生活を送る姿を描いたもの。

『窓際のトットちゃん』は現在35ヶ国語に翻訳され、世界中の人達に親しまれています。

 

大人気インスタグラマーとしても活躍

彼女は1984年からユニセフ親善大使も務めています。恵まれない子供たちのためにさまざまな国へ視察に赴く熱心な活動が評価され、2003年に瑞宝中綬章、2015年には文化功労者に選ばれました。その他、インスタグラムをはじめれば、あっという間に100万人以上のフォロワーを集めるなど、彼女の活躍を上げればきりがないほど多方面に及んでいます。

 

そして、80歳を過ぎた現在も「世界ふしぎ発見」や「徹子の部屋」など、番組は続いており、さまざまなメディアでも大活躍中です。

 

反省は母親の胎内に忘れてきた。

 

今回、取り上げるのは、そんな彼女の名言。ユーモアもありつつ、とても前向きで、徹子さんらしい言葉です。

 

「反省を忘れてきた」徹子さん。はて? 反省を積み重ねた結果、芸能界で頭角を現し、ビックになったのでは?と思ってしまいます。では、どうして浮き沈みの激しい芸能界という世界で、60年以上も安定した人気を維持して来られたのでしょうか?

 

こちらは雑誌のインタビューで、徹子さんが語っていた言葉です。

 

「芸能界で60何年やってきましたけど、金持ちになりたいとか有名になりたいとかは一切なかった。いつも自分らしくあろうって」

 

何かのCMで「反省だけならサルでもできる」というセリフを聞いたことがあります。

 

反省ばかりするより徹子さんのように「自分らしく」というスタンスで仕事をするほうがよっぽど大切なのかもしれません

 

この徹子さんスタイルが80歳過ぎても、旬であり続ける女性の基本なのでしょう。