【エッジーナの名言】 ローザ・パークス「変化とは、恐れず最初の一歩を踏み出すこと」

“変化とは、恐れずに最初の一歩を踏み出すということ。そうでなければ、変化は起きません。”

ーーローザ・パークス

ローザ・パークス(1913-2005) 活動家

 

ローザ・パークスはアメリカで「公民権運動の母」と呼ばれた活動家。黒人への人種差別が横行していた時代に、バスで白人に席を譲るのを拒否して逮捕されたことがきっかけで公民権運動が本格化し、人種差別の根絶に向けて人類が歩みを進めることになりました。たった一人の女性の勇気ある行動が歴史を動かしたとして、彼女は世界中の歴史の教科書に名を残し、その功績は多くの人々に讃えられています。

ローザは、アラバマ州タスキーギでアフリカ系アメリカ人で大工の父ジェイムズ・マコーリーと、教師の母・レオーナの間に生まれました。その後、両親は離婚。ローザは12歳で女子職業学校に入学し、16歳で縫製工場に就職。1932年に黒人理容師のレイモンド・パークス(1903年~1977年)と結婚すると、夫が全国有色人向上協会‎(NAACP)のメンバーだったことから、ローザもNAACPモンゴメリー支部の書記を勤めるようになり、百貨店での仕事と兼業していました。

当時、アラバマ州を含むアメリカ南部諸州では「ジム・クロウ法(Jim Crow laws)」と呼ばれる人種分離法が施行され、公共交通機関を除く日常生活のあらゆるところで黒人と白人は隔離されていました。

そのような状況下で、1955年12月1日に事件は起こります。

当時42歳だったローザは百貨店での仕事を終えて帰宅するため市営バスに乗車します。バス内は白人席と黒人席に分けられ、中間の席には白人がいない時は黒人も座ってよいことになっていました。ローザは黒人席が一杯だったので中間席に座っていると、やがて白人が続々と乗車してきました。そのため、運転手が中間席に座っている黒人たちに立つよう命じると、座っていた黒人4名中3名は席を空けたが、ローザは立ちませんでした。運転手が彼女のところにやって来て席を譲るよう求めたが、ローザは「立つ必要を感じません」と答えて起立を拒否。「立たないんなら警察を呼んで逮捕させるぞ」と言われるも、「どうぞ、そうなさい」と落ち着いた態度で答えるローザ。運転手は警察に通報し、彼女は市条例違反で逮捕されます。

ローザ逮捕の知らせが黒人のあいだに伝わると、バプテスト教会の牧師に着任したばかりで26歳のマーティン・ルーサー・キング・ジュニアやラルフ・アバーナシー牧師らが抗議運動に立ち上がり、モンゴメリーのすべての黒人にバス・ボイコット運動を呼びかけます。当時貧しい黒人にとってバスは必須の交通機関で、利用者の75パーセント以上が黒人。彼らがバスをボイコットしたことで、バス路線を運営するモンゴメリー市は経済的に大きな打撃を被ります。

ボイコット運動は381日間も続き、最高裁が公共交通機関での人種差別を違憲と判決した翌日に収束。キング牧師はこの運動の勝利を契機として全米各地での公民権運動を展開すると、アメリカの黒人運動は最高潮に達し、1964年の公民権法成立につながりました。

ローザもキング牧師の公民権運動に参加して著名な活動家となる一方、地元には居辛くなったため1957年にデトロイト市に移住します。彼女は1965年から1988年にかけてミシガン州選出民主党下院議員ジョン・コンヤーズ(John Conyers)のスタッフを勤め、その後はローザ・レイモンド・パークス自己開発教育センターを創設。2005年にその生涯を終えるまで、青少年の人権教育に尽力しました。

事件が起きたのは1955年。当時のバスのルールは今では信じられないようなことですが、そんなに大昔のことではありません。彼女の勇気ある行動がなければ、理不尽なルールがもっと長く横行していた可能性だったあったでしょう。

彼女は社会のルールを変えるために、逮捕という不当な制裁を受けなければなりませんでしたが、恐れずに行動を起こしたことが、人種差別に苦しむ多くの人々を救うきっかけになったのです。社会に大きな変化をもたらす一歩は、一人の人間の勇気ある行動から生まれる。そんなことをローザの名言と生き様から学べるのではないでしょうか。