【エッジーナの名言】  伊達公子「継続は同じことの繰り返しではなく、成長し続けること」

“継続するということは、同じことの繰り返しではなく、成長し続けること。”

――伊達公子

 

伊達公子(1970-)

元プロテニス選手、解説者

 

90年代、日本を熱狂の渦に巻き込んだ元プロテニス選手の伊達公子さん。アジア出身の女子テニス選手として初めてシングルス世界ランクトップ10入り(最高ランク4位)を果たし、日本人初の4大大会ベスト4進出を成し遂げた日本テニス界のレジェンドです。世界のトッププレイヤーと繰り広げた数々の名勝負が記憶に残っている人も多いでしょう。

 

京都府で生まれ滋賀県で育った彼女は、6歳からテニスを始めて名門「四ノ宮テニスクラブ」に入ります。小学校・中学校の頃の伊達さんはそこまで目立った選手ではなかったそうですが、高校で全国トップクラスのジュニア選手が集う園田学園に進学することで、彼女の運命は大きく変わります。

名門校で将来を嘱望された仲間と切磋琢磨しながら、同校の生徒も多く通う民間のテニスクラブに参加することになった伊達さん。そこでコーチを務める小浦武志さんは、伊達さんの身体能力や肩の力に驚き、その特徴を生かしたテニスを指導します。

それは、ボールがバウンドした直後にできるだけ力を抜いて小さくスイングする打ち方。当時の常識だった、ボールがバウンドして落下してくるところを大きくスイングする打ち方とは真逆のもので、足の速さやボールの落下点を予測する力などが求められる難しい打法でしたが、伊達さんは持ち前のセンスとひたむきな努力でこれをマスター。

革命的なスタイルは彼女を全国トップクラスに押し上げ、3年生の時には全国高校総合体育大会(インターハイ)でシングルス・ダブルス・団体で3冠の偉業を達成します。

ちなみに、この打法は「ライジング・ショット」と呼ばれ、のちに世界でも有数のライジング・ショットの名手として「ライジング・サン(日の出)」と称えられるほどの武器となります。

 

1989年、高校卒業と同時にプロ選手に転向すると、翌年には全豪でグランドスラム初のベスト16入り。1993年にも全米オープンベスト8に進出し、1994年NSWオープンで海外ツアー初優勝を遂げると、日本人選手として初めてWTA世界ランキングトップ10入りを果たします。1996年には有明コロシアムでのフェド杯で当時世界1位だったシュテフィー・グラフを撃破する大金星も挙げますが、同年に引退を発表。当時世界ランク9位、25歳という若さで第一線から身を引くのです。

その後はテニスから離れ、全国の子どもたちにテニスを教えて回ったり、私生活でも結婚をするなど充実した生活を過ごしていた伊達さん。しかし、ここで終わらないのが彼女の凄さです。

2008年、37歳にして「新たなる挑戦」を掲げて現役復帰を表明。10年以上のブランクがありながら、なんとその年の全日本選手権でシングルス・ダブルス優勝の2冠を達成します。翌年からは再び世界に活動の場を移し、13年ぶり8度目となるWTAツアーシングルスで優勝。4大大会にも出場し、また当時全盛期だったマリア・シャラポワを破るなど、年齢を全く感じさせない活躍ぶりでテニスファンを釘付けにしました。

最終的に最初のキャリアよりも長い9年半の現役生活を経て、2017年に再び引退を表明した伊達さん。年齢とともに衰える体力や、時代とともに変わる競技スタイルに負けることなく挑戦していく姿は、多くの人たちに勇気を与えたことでしょう。

彼女は継続と成長の大切さについてこのように語っています。

 

人間というのは成長を求める生き物だと思うのです。試練を乗り超えて自分のレベルを上げたい。そういう気持ちは誰しも心のなかにもっているのではないでしょうか。私の場合、その気持ちを思い起こさせてくれたのは、やはりテニスでした。

 

たった1つのことでも毎日何かを続けるには、それなりに気持ちを強くもつ必要があります。時間通り、予定通りのルーティンをつくることで、自分のなかにリズムが生まれます。そうしてやるべきことをコツコツこなし、決めたことをきちんとやり抜くことが、いずれ実を結ぶのだと思います。

 

このように成長への意欲を絶やさず、日々やるべきことをコツコツと継続していったからこそ、誰もが成し遂げたことのない偉業へと辿り着くことができたのでしょう。