【エッジーナの名言】 アガサ・クリスティー「人生は一方通行なのよ」

“人生は決して後戻りできません。進めるのは前だけです。人生は一方通行なのよ”

ーーアガサ・クリスティー

 

アガサ・クリスティー(1890-1976)

小説家

 

「ミステリーの女王」と呼ばれたアガサ・クリスティー。日本でも大変人気のある作家で、その大胆なトリックで人々の予想の裏をかく良質な作品を世に送り続けてきました。

彼女は1890年にイギリスで、3人姉弟の末っ子として生まれます。祖父が実業家で多くの遺産を遺していたため、その財産を投資家に預けて働かずに暮らしていた父。母も変わり者で、アガサを学校に通わせずに自分で教育を施していました。

同級生の友達がいなかったアガサは、やがて空想にふけるようになり、想像上の友達とよく遊んでいたそうです。また、学校へ行く代わりに父の書斎によく閉じこもって様々な書籍を読み漁り、すでに10歳の時には詩を書き始めていたと言います。特殊な家庭環境が、彼女の小説家としての下地を着々と育てていったのです。

しかし、1901年に父が亡くなると家庭の経済状況は悪化し、家を転々としながらフランスへと渡ります。ここでアガサはようやく学校に通うことができ、演劇や音楽などの文化を深く学んでいきます。同時に、この頃から小説を書き始めるのです。

幸運なことに、近所には小説家のイーデン・フィルポッツが住んでおり、彼女はたびたび彼の家を訪問してアドバイスを受け、1909年には初となる長編小説『砂漠の雪』を完成させます。

その後、結婚・出産を経験しますが、時代は戦争の真っ只中。アガサは看護師として、後年は薬剤師の助手として負傷者の治療に従事することになります。この時、多くの人間の死を目の当たりにしたこと、また様々な毒薬についての知識を身につけたことが、のちの作品にも多大な影響を及ぼすことになります。

そして1920年、ようやく『スタイルズ荘の怪事件』でミステリー作家としてデビュー。1926年『アクロイド殺し』の大胆なトリックと意外な真犯人を巡って大論争が起き、一躍ベストセラー作家の仲間入りを果たします。

その後も、『オリエント急行の殺人』(1934年)、『ABC殺人事件』(1936年)、『そして誰もいなくなった』(1939年)といった歴史に残る名作を生み出し、名実ともに世界最高のミステリー作家として人々の記憶に残り続けています。

作家として大きな成功を収めた彼女ですが、私生活では最愛の夫が愛人を作って離婚を迫られたり、自身も10日間に及ぶ失踪事件を起こすなど、波乱万丈な人生を歩んでいました。彼女自身、人生は辛いものだということを、たびたび振り返っています。

それでも、85歳で生涯を閉じるまで小説を書き続けた彼女。人生は後戻りできない、一方通行であることを身をもって知っていたからこそ、彼女はどんな運命も受け入れて一本の道を走り続け、「ミステリーの女王」という最高の名誉を手にすることができたのでしょう。