【エッジーナの名言】 ザハ・ハディッド「私は未来という概念を心から信じている」

“私は未来という概念を心から信じている”

ーーザハ・ハディッド

ザハ・ハディッド

建築家(1950-2016)

 

ザハ・ハディッドはイラク出身の現代建築家。曲線を活かした奇抜なデザインで、イタリア国立21世紀美術館をはじめとする近未来的な建造物を世に多く残し、大英帝国勲章やプリツカー賞、スターリング賞といった伝統の賞を受賞した巨匠です。日本では、新国立競技場のデザイン案で一躍話題となったことがまだ記憶に新しいと思います。

ザハはイラクの首都バグダッド生まれ。父は政治家でリベラル系政党の指導者でした。幼い頃、イラク南部に残っているシュメール文明の遺跡まで父に連れていってもらったときから、建築に強い関心を抱くようになります。

リベラル派のハディッド一家は、イラクでサッダーム・フセインが権力を握ったことをきっかけにイラクを脱出。1972年にザハは渡英し、ロンドンの私立建築学校英国建築協会付属建築専門大学(AAスクール)で建築を学びます。

1977年に卒業するとAAスクールでの教師でもあったオランダ人建築家のレム・コールハースの設計会社「オフィス・オブ・メトロポリタン・アーキテクチャ」でキャリアをスタート。1980年に独立して自分の事務所を構えることになります。

彼女の名が知られるようになったのは、1983年に行われたピーク・レジャー・クラブのコンペがきっかけ。これは香港のビクトリア・ピーク山上に建設が予定されていた高級クラブのためのコンペで、ザハは錚々たる審査員の奨励を受けて一等を獲得します。しかし、コンペ勝利直後に事業者が倒産したことで実際に建設されることはなかったそうです。

1980年代にはハーバード大学、イリノイ大学シカゴ校、コロンビア大学(客員教授)などで教鞭をとったこともあり、1988年にニューヨーク近代美術館が主催した『脱構築主義者建築展』などでも注目されましたが、独立後から10数年間は実現に至った建築がなく不遇の時代を過ごします。

しかし、90年代に入るとようやく彼女の建築物が実現するようになり、ドイツのヴィトラ消防署、イギリスのマギーがん福祉センター、ロンドン五輪の水泳会場となったアクアティス・センター、ウィーン経済大学新キャンパスなどを設計。美しく近未来的なザハの建築物はたちまち話題となり、イギリスから大英帝国勲章を授与されます。

2012年には新国立競技場の国際コンペに参加して見事に選ばれます。彼女のデザインは建設費をはじめとする問題で残念ながら完成することはありませんでしたが、多くの歴史的な建築家や著名人が彼女のデザインが日の目を浴びないことに嘆き悲しんだそうです。

2016年にマイアミの病院にて心臓発作で亡くなるまで、生涯現役であり続けたザハ。未来を信じる彼女がどんな世界を見ていたのか、今となっては知る由もありませんが、彼女が残した建築物からその片鱗を垣間見ることができるでしょう。