【エッジーナの名言】アレサ・フランクリン「女性は、誰しもがパワーを備えているわ」

“女性は、誰しもがパワーを備えているわ。私たちはみんな持っているのよ”

――アレサ・フランクリン

アレサ・フランクリン(1942-2008)

歌手

「ソウルの女王」(クイーン・オブ・ソウル)と呼ばれ、1987年に初めて女性アーティストとして『ロックの殿堂』入りを果たしたアレサ・フランクリン。2018年にすい臓がんにより逝去した際は、多くの人々から追悼のコメントが寄せられました。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第1位に選ばれるなど、50年以上にわたって音楽界のトップに君臨し続けた彼女は、パワフルな女性像、女性解放運動、公民権運動を象徴するエッジーナでした。

 

アレサはアメリカのメンフィスで生まれ、デトロイトで育ちました。父のC・L・フランクリンは説教者として有名な教会の牧師であり、母バーバラ・シガーズ・フランクリンもゴスペル歌手。両親はアレサが幼い頃から別居していましたが、アレサは父のもとで育てられ、幼い頃から父のニュー・べセル・バプテスト教会でゴスペルを歌っていました。

アレサは神童と呼ばれ、14歳の時には初めてゴスペルのアルバムをレコーディングします。そして1961年にはコロムビア・レコードからデビュー。スタンダード、ジャズ、ブルーズなどの曲をいくつかリリースしますが、ゴスペル・フィーリングを前面に出した曲がなかったこともあって、当時のアレサのレコードは世間に大きなインパクトを与えるに至りませんでした。

彼女が才能を世間に知らしめることになった契機は、1966年アトランティック・レコードへの移籍です。プロデューサーのジェリー・ウェクスラーは、彼女のゴスペル・フィーリングを前面に押し出す方針を採用。第1弾シングル「I Never Loved A Man (The Way I Love You)」が大ヒットすると、「Chain Of Fools」、「A Natural Woman」などヒット曲を連発。そして1967年、オーティス・レディングのカヴァー曲「Respect」で全米1位を獲得し、ついに一躍スターの座に躍り出ました。この曲は当時盛り上がりを見せていた公民権運動やフェミニスト運動のアンセムとして取り上げられるようになります。

サイモン&ガーファンクルの「Bridge Over Troubled Water(明日に架ける橋)」のカヴァー曲も、当時アパルトヘイトで苦しんだ南アフリカでヒットし、教会で賛美歌として歌われるなど、彼女の歌は女性や黒人といった不当な差別を受ける人々に大きな力を与えたのです。

1974年まで、彼女はR&Bのトップ10チャートに33回ランクイン。グラミー賞の最優秀R&Bヴォーカル・パフォーマンス部門を1968年の「リスペクト」で受賞してから、8年連続で受賞するという快挙を成し遂げます。

その後も数多くのヒット曲を世に送り続け、映画『ブルース・ブラザーズ』に出演した大きなインパクトを残すなど、精力的に活動してきたアレサ。グラミー賞受賞回数は20回で、女性としては21回受賞のアリソン・クラウスに次ぐ記録となります。

2003年には一度引退を宣言しますが、その後撤回してまたライブ活動などを再開。2009年、アメリカ合衆国第44代大統領バラク・オバマの就任式式典にてアメリカの愛国歌「My Country, ‘Tis of Thee」(“America”)を歌い、その歌声にオバマは涙しました。なお、アレサはオバマの他にもジミー・カーター、ビル・クリントンと3名の大統領就任式で歌っています。

2018年8月16日9時55分、膵臓がんのため、ミシガン州デトロイトの自邸で死去したアレサ。彼女の訃報を受けて世界中から多くのコメントが寄せられましたが、その中でもやはりオバマ前大統領の言葉が彼女の偉大さを物語っていると思います。

「アレサ・フランクリンはアメリカという経験を定義することを手助けしました。彼女の歌声の中に、私たちの歴史、パワー、痛み、闇、光、贖いの探求と敬意を感じることができたのです。ソウルの女王に永遠の冥福を。」

女性に勇気を与えてくれたアレサの歌は、永遠に語り継がれ、これからも多くの女性の胸に響き続けることでしょう。